フィリピンの歴史


フィリピンの歴史を語るにあたって、フィリピン初、東南アジア初の英雄ラプラプを外す事は出来ないでしょう。

201509293

別にフィリピンの歴史なんて語る必要はありませんがネタがないんです。
ちなみにラプラプの武勇伝はセブ市民なら当然誰もが知っていて、先生が身振り手振りしながら熱く語ってくれたので皆さんに紹介しようと思ったのですが、完璧には分からなかったのでこっそり後で調べました。

まず、登場人物はざっくり二人、英雄ラプラプとフェルディナンド・マゼラン。マゼランは初めて世界一周を成し遂げた探検家として有名ですよね。探検家と言っても小船で航海していた訳ではなく、スペイン艦隊を率いた軍隊だったんですね。それに対してラプラプは、QQイングリッシュシーフロント校がある(宣伝)マクタン島の部族の領主でした。この頃には既にセブ島にはイスラム教が上陸していて、族長たるラプラプもイスラム教徒でした。

一方マゼランもただの冒険家ではなく、「キリスト教を布教する(植民地化して支配する)」という名目で、貴族諸侯からお金を集めていましたので、フィリピン人とも単なる友達になる訳にはいかず、イスラム教のフィリピン人を強制的にでもキリスト教に改宗させないといけないという役目があったのです。

支配者となり服従を迫るマゼランに怒ったラプラプがどうしたかというと、屈強なマゼラン軍との決戦に挑んだのです。マゼラン軍は軍艦、大砲、銃、剣に甲冑と当時最新鋭の装備でした。当時のスペインの艦隊といえば「スペイン無敵艦隊」のと呼ばれていた時期で、腰に葉っぱを巻いただけの現地人が勝てる訳がありません(葉っぱは嘘です)。

そこでラプラプは考えました。まずマゼラン軍との決戦の地として遠浅の海岸を選びます。それによりマゼラン軍の軍艦は沿岸まで近づけず、砲撃がラプラプ軍まで届きません。業を煮やしたマゼランは、全軍陸に降りて戦うように命じました。しかし、やはり遠浅の海だと足場は殆ど砂浜です。甲冑を着ているスペイン軍は機敏な動きが出来ず、一気に攻め込む事ができません。利口なラプラプは最新装備という相手の利点を弱点に変えたのです!砂に足を取られて動けないマゼラン軍は、仕方なく足の部分の装甲を外しました。それを見逃さなかったラプラプは全軍に命じ、下半身に毒矢や竹槍等の攻撃を集中させたのです!味方がどんどん倒れていく中、マゼランは決意を決め、ラプラプとの一騎打ちに挑みました。社会の教科書にでも描かれている通り、最新装備を纏っているとは言え世界一周を果たした頃のマゼランは既に中年、それに対し銅像でも残る通りラプラプは若くて体格のいい青年でした。勇敢なラプラプは死闘の末にとうとうマゼランを打ち取ったのです!

この瞬間、ラプラプは初めて西洋人に勝った東南アジア人となり、もちろんこの英雄譚は時を越えて語り継がれ、現在のセブではラプラプシティという街の名前や魚の名前にまでなってセブ市民から愛される英雄となったのです!・・・という話をざっくり聞いたのですが、、、が!!!インターネットで調べた情報によると、マゼラン軍は総勢49名、それに対しラプラプ軍は1500名以上の軍勢だったそうです。そんなの僕が大将でも勝てます!(笑)

キリスト教を布教する為に戦って死んだマゼランの想いが通じたのか、マゼランの建てた十字架は「マゼランクロス」という国民から愛されるオブジェクトとなり、現在のフィリピンは世界3位となる7421万人のカソリック教徒を抱えるキリスト教国家となっています。今の布教率から考えるとラプラプはキリスト教の布教を阻害した邪魔者のはずですが、英雄となっており、マゼランは一時は憎き支配者だったのですが、結果としてキリスト教を広めた功労者でもあるという事実を考えるとなんだかやるせなくなりますよね。 おしまい。

細田


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